市の答弁と、当会の見解。

第1条(目的)
 本条例は、国際平和を誠実に希求し、戦争と武力を永久に放棄するとした日本国憲法、国のかかげる非核3原則、ジュネーヴ諸条約等の国際人道法に基づくものであり、西宮市平和非核都市宣言を発展させたものである。本条例は、西宮市が、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第59条に定める無防備地区(以下、「無防備地域」という。)の宣言を行なうことなどを定め、市の責務として市民の平和と安全を保障することを目的とする。

「防衛は国の専管事項であり自治体はできない。」「自衛隊法や有事関連法はそのことを前提にした明文規定になっている。よって、地方自治法に抵触する。」
 「有事法制・国民保護法の制定は、長年の課題であって、独立国家として有事に備えるのが当然のこととして国のほうで制定した。それに基づいて、国・地方の役割が定められ、国民・市民の生命・財産を守っていくために、所定の手続きをとって事務をすすめていくことになっている。今、県が計画を定めている途中なので、それに基づいて当市も事務をすすめていく。」
防衛が国の専管事項であるという明文規定はない。自衛隊法や有事関連法・国民保護法で「法定受託事務」(国の業務を自治体に受託させる事務)になっているだけ。
 住民の安全と命を守るのは、明らかに、地方自治体の責務。地方と国とは対等であり、自治体は主体的に法解釈もできる。条例制定は可能である。
第2条(市民の平和的生存権)
1.西宮市民は、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
2.西宮市民は、その意に反し、戦時のみならず平時から軍事を目的にした市民権の制約や財産権の侵害、自然環境の破壊を受けることはない。

「憲法前文と内容が同じなので不必要」
 「例えば、自衛隊法の防衛出動の規定などがある。そのような場合は財産権も侵害できる。いわゆる防衛行動のために例えば自衛隊の戦車が民地をとおってもいいというような規定がある。防衛施設を建設する際、最終的には強制収用もできる。また、一時使用についても通常以上の規制が加えられる。」
平和的生存権は、国の政策において守られていない。憲法の条文を条例に盛り込み、積極的に活用し啓発することが必要。
 市民の平和的生存権を制限することを前提に、国民保護法をすすめることを、市が公の場で明らかにしたことであり、見過ごすことはできない。
第3条(市の責務)
1.西宮市は、戦争に関する事務をおこなわない。
2.西宮市は、軍事施設の建設を認めない。
3.西宮市は、その他前条に反する行為をおこなわない。

「戦争に関する事務の範囲が不明確。もし、防衛に関するものが含まれるなら、国の専管事項である。」
 「建築基準法において建築できるものを条例で規制するのは難しい。」
 「防衛施設を建設する際、最終的には強制収用もできる。」
市民や自治体が、戦争に巻き込まれたり、軍事に協力したりすることがないよう規定している。
 行政指導において、実質的にかなりの規制がかかっている。非核神戸方式もその一例である。やろうと思えば、できることである。
第4条(非核政策)
1.西宮市は、非核3原則を遵守し、市内における核物質の製造・貯蔵・持ち込みを禁止する。
2.西宮市は、核兵器(劣化ウラン兵器を含む)その他大量破壊兵器の製造・運搬・使用等を禁止し廃絶するための措置を国際機関、関係国、関係諸団体などに働きかける。

「原子力基本法において、核物質の平和利用が規定されている。化学兵器についても、化学兵器及び特定物質の禁止についての法律において規制されている。原子炉規制法などもある。よって、それに加えて条例で規制する必要がない。」
 「核実験のたびに実験国に対して文書を送付している。」
この条例は、「平和非核都市宣言」を発展させるものであり、条例に規定することによって、一層、市の立場は明確になる。
 核実験に対する抗議だけでなく、ウラニウム兵器その他の大量破壊兵器を廃絶することは、無差別に市民を犠牲にする戦争の火種をなくすことにつながる。
第5条(無防備地域宣言)
1.西宮市は、平時から無防備地域の条件を満たすように努める。
 その条件とは、次のとおりである。
 (1) すべての戦闘員並びに移動兵器及び移動軍用設備が撤去されていること。
 (2) 固定した軍用の施設又は営造物が敵対目的に使用されていないこと。
 (3) 当局又は住民により敵対行為が行われていないこと。
 (4) 軍事行動を支援する活動が行われていないこと。
2.西宮市は、戦時あるいはその恐れが明白な時、無防備地域の宣言を行い、日本国政府および当事国に通告する。

「無防備地域の4条件はすべて防衛行動」
 「4条件の実行をするうえで、自衛隊が存在し、防衛出動を行なった場合、条例と抵触する部分が出てくる。自衛隊が存在することが条例を制定するうえで抵触する部分が出てくる」
 「我が国においては、宣言は国により行われるべきものであり、地方公共団体が宣言を行うことはできない。特定の都市が宣言を行ったとしても、それは宣言には当たらない」(平成16年4月の政府答弁を引用)
4条件の3・4番目は、自治体や住民が行なう行動。これらも全部「防衛行動」にあたるというのなら、そもそも「防衛は国の専管事項であり自治体はできない」という論理はなりたたない。
 「防衛」の実施者に自治体も住民もなるということなら、その実施者が条例を制定することについて否定されるのはおかしい。

赤十字国際委員会のコンメンタールで自治体も宣言できるとされている。宣言の有効性を決めるのは、紛争当事国や国際機関である。国しかできないというのは、国が言っているだけで、国の主張こそ有効性がない。
 また、国の見解に自治体が絶対従う義務もない。
第6条(平和行政の推進)
西宮市は、世界平和の実現のために次の各号の事業を実施する。
(1) 平和のための国際交流事業、アジア諸都市との平和友好都市づくり
(2) 平和のための他の地方公共団体との交流・協力
(3) 学校教育の場での平和教育の充実その他戦争を起こさせない人材育成
(4) 平和意識の啓発・広報活動、憲法・国際人道法の普及・学習
(5) 平和記念物の保存・展示等
(6) 平和のためのNGOの育成、市民参加の平和事業の推進、市民がおこなう平和事業に関して共催等の必要な援助および助成
(7) その他、条例の趣旨に沿う平和のための事業

「平和非核都市宣言の理念に基づいて、市は平和非核行政を進めている。」
 「平和施策・国際交流・人権などに着実に取り組み、その広がりの輪の中で国際平和につながっていくものと思う。」
 「今まで以上の取り組み、戦争を起こさない取り組みが必要であるという質問ですが、法令に定められた範囲内で着実に実行する。」
市の平和事業は不十分で、例えば、今起こっている戦争についての学習が少ない。
 また、アジア各国との市民レベルの交流をもっとすすめるべき。
第7条(平和予算の計上)
 西宮市は、平和事業に必要な費用を毎年予算に計上する。

「毎年の平和事業に予算を計上している。」
全国で約20ある「平和非核条例」の中にも、平和予算を規定しているものがある。平和事業を継続しておこなっていくために必要。

赤十字国際委員会コンメンタールをめぐって

【誰が宣言を出さなければならないか?】
 原則として、宣言はその内容を確実に遵守できる当局によって発せられるべきである。一般的にこれは政府自身となるであろうが、困難な状況にあっては、宣言は地方の軍司令官、または市長や知事といった、地方の文民当局によって発せられることもあり得る。
 もちろん、地方の文民当局が宣言する場合は、宣言内容の遵守を確実にする手段を唯一持っている、軍当局との全面的な合意のもとになされなければならない。
(西宮市訳)

"困難な状況"について
 「前後の文脈から判断して、政府としての機能が果たされていないような状況」「政府の機能が無くなっている状況においては、緊急避難的にそういう宣言も出来ると考える」「いわば無血開城のような抵抗しないことが前提の極限状態のもとで発せられるものであると考えている」

"軍当局"について
 「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします。」という平成2年の中山外相答弁を引用。
 「ジュネーブ条約第1追加議定書43条(軍隊)の規定でも、自衛隊は軍隊に該当する」  「49条(攻撃)の定義がある。公私を問わず敵に対しての暴力行為、防衛のための実力行使も条約上攻撃にあたる」
"困難な状況"は幅広く解釈できる。コンメンタールは、そこまで厳密な状況を規定していない。政府の機能が残っていても、宣言は可能である。
 憲法上は、自衛隊は「軍隊」ではないのに、国際法上は軍隊とみなされる(みなされている)という答弁は、軍隊と交戦権を否定した憲法に矛盾する。
 自衛隊が"軍当局"にあたるとしても、自衛隊は、自治体・地域住民の意向を尊重すべきであり、合意すればいいだけの話である。

国は、自衛隊の海外派遣に関する論議の中で、「自衛のための最低限の武器使用は武力行使にあたらない」としてきたが、それも国際法上は「攻撃」にあたるということになる。
 国際法上「攻撃」と定義づけられることを「武力行使でない」と言えるのか疑問。
 憲法9条(軍隊を持たない。武力行使をしない。)から発想すると、自衛隊は国際法上軍隊である、という答弁は驚くばかりである。
 市は、自衛隊を国民保護協議会に参加させようとしている。そんな実態の自衛隊を参加させることによって、市民の安全・安心が守られるのだろうか。