藤田 和 さんの意見陳述 (2005年7月11日)

 請求代表人の藤田 和と申します。
 名前は平和の和と書いてひとしと読みます。西宮市学童保育協議会役員という肩書きで署名活動に加わり、市長への直接請求ということで今日ここにいたっています。
 私が学童保育に関わるようになったきっかけは、私が住む武庫川団地で子供が幼児を階段の踊り場から落とすという事件があったことでした。当時、団地自治会で大問題となり、いやでも子供たちの置かれている状況に目を向かされました。それから子供たちの置かれている状況を少しでも良くしようと取り組んできました。しかし、子供たちにとって現代は夢や希望を持てない社会となっているように思います。カッターナイフを持ち歩いたり、学校のトイレでトイレットペーパーに火をつけたりする中学生のことを聞くこともあります。いじめや欲求不満のはけ口をホームレスの襲撃に求める子供たち、リストカットや不登校に走る子供たち、他者への攻撃が弱者に向けられる現状があります。このように子供たちの犯罪、暴力が問題視されています。
 私は、テレビで毎日のように流れる戦争のシーンやテロ事件の報道など、暴力が正当化されているかのような現実を目の当たりにして、子供たちに「暴力がいけないことである」ことを説明する言葉を失いかけていました。憲法で「軍隊は持たない」と決めた国が、海外に派兵することなど考えられないことです。このようなことが公然と行われていることが、少なからず子供たちに影響を与えていると思います。平和教育の必要性は誰もが確信するものですが、平和を大切にするといいながら 戦争を準備するような状況下では、子供たちの将来の希望は閉ざされていると言わざるをえません。

 平和・無防備条例をめざす署名スタートの少し前に、私の子どもが通う小学校の先生より『ヒロシマをつたえよう』という小冊子を頂きました。子どもたちが広島に修学旅行に行き、一年間平和への思いをよせた本でした。これからの時代を担う子供たちが、自分たちなりに過去の戦争を受け止め、自分たちの言葉で憲法を作っています。その一部を紹介します。

<こども憲法 前文>
 私達は、誓います。平和を愛し、世界中の人々が罪をおかさず、落ち着き安心して暮らせる社会をつくることを。
 私達は宣言します。戦争をしない社会をつくることを。そして、世界中の人々に伝えることを。それが現実になることを、私たちは願っています。
 私達は同じ人間の命をうばうことは許されません。与えられたものは別の人にも返し、優しさを配れる人になります。
 私達は願います。世界中の人々が助け合える社会になることを。世界が人々の「ありがとう」でいっぱいの社会になるように私達は心がけます。
 私達は大気汚染や、森林破壊などをやめ、生き物たちが安心してくらせる環境をつくることを決意します。
 私達は、人間には落ち着くことが必要であると考えます。なぜなら、大変な難問に直面したときに、あせってはどうすることもできないからです。だから、私達は正しく判断するためにも、落ち着いて考えることを世界にすすめます。
 私達は、世界各国の人々が安心でき、平等でかつ平和で幸せになるように願います。
 日本国民一人ひとりはこの願いを持ち、その為に努力します。
 そして、その願いがかなった時、世界は笑顔で満たされていることでしょう。

 この文章は、私への激励物になりました。そして、署名活動をがんばる力を得ることができました。子どもたちの力を信じて、私たち大人の責任として子どもたちが笑顔で生きられる社会を作り出したい。そんな思いの1か月間でした。今後、団塊の世代が一線を退き、今の子供たちが時代を引き継ぐとき、社会の規範が崩れ、強者が弱者を支配するような社会、戦争やテロが当たり前の世界にしてはならない。そんな思いが私を突き動かしていました。
 今回の署名を通じて一番印象に残ったのは、戦争を体験した人たちの言葉でした。「二度と戦争を起こしてはいけない、子供たちに二度とあんな経験をさせてはいけない」ということです。私の父親も中学二年の学業半ばに川西航空機に勤労奉仕に行かされたと言っていました。「生めよ増やせよ」「富国強兵」と戦争に駆り立てられた結果の敗戦、戦争被害ということを考えれば、子供たちにはもう二度とあのような教育は受けさせたくないと痛切に感じます。西宮市が2度にわたる悲惨な世界大戦の反省を踏まえ、21世紀を戦争や核兵器のない平和な世紀にすることを決意するのであれば、ぜひとも国際人道法と憲法を具現する本条例を制定すべきだと思います。

 今年、神奈川県藤沢市においても、平和無防備地域条例を求める直接請求があり、4月藤沢市議会で条例案が審議されました。
 その中で藤沢市は、「人口の集中した地域から、その軍事目標となるような施設を出来るだけ遠くにするというジュネーブ条約の規定については、平時から努力すべきことと思う。」と答弁しています。
 また、国民保護法と平和無防備条例の関係についても、藤沢市は、「武力攻撃事態あるいは武力攻撃予測事態に陥った場合、それに対処する対処方針を定めることになる。この中の1つの選択肢として無防備地域というものがあるのかなというふうには考えられる。」と答弁しています。
 このように、藤沢市議会での論議の中で、住居地域から軍事目標を遠ざけることの必要性や、無防備地域宣言の有効性について、市も一定認めているのです。
 無防備地域宣言の条例化については、現在、北海道から沖縄まで全国20箇所以上で取組みが広がっています。東京都の国立市では、市長自らが無防備地域宣言を検討しており、沖縄県内においても「ちゅらさん」の舞台である竹富町の町長が、無防備地域宣言について「平和な島社会を確保するために大変大切。検討してみたい」と積極的な姿勢を示しています。その隣の石垣市の市長も「強い共感を覚える。(市は)4つの条件に合致しており、宣言するにふさわしい地域」と述べています。
 西宮市は、兵庫県で最初に「平和非核都市宣言」をしました。それは、広島市や長崎市より早い時期でした。その伝統を生かし、全国で初めての「平和無防備都市条例」を実現して欲しいのです。
 6月23日は沖縄戦の慰霊の日でした。筑紫哲哉さんのニュース23という番組でも西宮の平和無防備条例の取り組みが放映されました。国民保護法が本当に国民を守るのか、それとも体制だけを守るのか、そういった中身だったと思います。そして不服従の意志を貫くことが一番安全だと強調されていました。そして、いま西宮市が日本国中で注目をあびています。ぜひとも歴史に恥じることの無い議論を期待いたします。よろしくお願いします。

(発言原稿ですので、当日の発言とは若干異なる部分があります。)

 意見陳述(発言原稿より)
  (2005年7月11日)