野田 暢子 さんの意見陳述 (2005年7月11日)

 おはようございます。 西宮市に「平和・無防備条例」を実現する会の野田と申します。
 条例の審議にあたり、請求代表者として意見を述べる機会を与えられましたことに感謝いたします。

 私たちは、4月29日からに1ヶ月間で2万490人分の署名を集めました。私は、この署名活動のことを中心にお話させていただこうと思います。
 「平和条例」制定の署名活動は、私たちにたくさんの勇気と希望をあたえました。 何よりも嬉しかったのは、西宮市民の平和意識は健在でした。実にたくさんの平和を愛する人に出会いました。
 赤ちゃんをベビーカーに乗せ、もう一人の子どもの手をつないだお母さんが署名をしてくれました。 「ママ、これなあに?」と不思議そうに聞き返す子どもに「貴方が戦争に行かないように署名するのよ」と、子どもの手を握り話しかけました。
 保育所前の署名では、イラクの写真を見た子どもたちが、「おばちゃん、これめちゃめちゃやで。なんでなん」と言いながら、写真から目を離そうとしませんでした。
 戦争体験をもつお年よりは、「戦争の恐ろしさを体験しているから、大切なこと」と署名をしながら、体験を語ってくれました。
 向こうから勢いよくやってきた男性は、「備えがあるから戦争が起こるんやで。当たり前の話や。備えがなければ戦争は起こらへん。簡単なこと」と言い、署名簿を持って帰りました。 また、「憲法を守る運動や」と署名をしてくださった方もたくさんいました。
 私たちの署名は、私たちの知らないところで、どんどん広がっていました。
マンションの自治会で、地域の老人会で署名は集められていました。私たちに賛同した市民が署名を集める受任者となり、親戚、知人、友人に署名を渡しました。スーパー前で署名をした市民が、その場で受任者登録をして署名を持って帰り、家族が署名をしました。署名をした人が署名を集める受任者となり、私たちと一緒に街頭に立ち署名を集めました。
 署名活動の中で、もうひとつ忘れてはいけないことがあります。「私、日本国籍を持たないですが。署名をさせてください」と申し出られた方もいました。
 また、街頭で出会った西宮市民でない方々は「他の市でもこの運動が広がるといい」と言われました。中学生や高校生からも申し出がありました。
 どうか、この2万490筆の奥にあるカウントされなかった多くの人の「武力で平和はつくれない」という願いに耳を傾けてください。
 署名活動は用意されたものは何もない、ゼロからのスタートでした。看板もポスターもありません。紙1枚ない中からのスタートでした。あったのは「戦争を二度と繰り返してはならない」「武力で平和はつくれない」という多くの市民の願いです。
 「自分の住む街の未来は、自分たちで決める」その声が直接請求となりました。
 受任者600人の方が市役所前やスーパーで署名活動をしました。
 この2万490人分の署名は、市民の汗の結晶です。そして、私の誇りです。

 20世紀は戦争の時代でした。その反省をふまえ21世紀は戦争をしない時代になるはずでした。イラクやアフガンでは、多くの市民が今も犠牲になるという悲惨な状況が続いています。それでは、私たちが住む日本はどうでしょうか?
 イラクに自衛隊が行くことで、「戦争をしない国」から「戦争ができる国」になり、今は「戦争をする国」になろうとしています。そして、国民を保護すると言う「国民保護法」は、本当に私たちの命を守ってくれるのでしょうか?
 昨年の西宮市の安全・安心グループの話の中で、46万を越える市民の避難場所はないということがわかりました。今後、避難計画が具体化されるようですが、保護とは名ばかりで、私たちが知らない間に戦争に協力させられることを義務づけられていく法律です。
戦争がおこる前に止めることができないのか?と考えていたときに「無防備地域宣言」という言葉に出会いました。ジュネーブ条約という国際法により、市民は戦争被害から免れ保護されなければならないこと。「無防備地域宣言」という方法で、戦争に協力しない地域として保護されると言うことを知りました。

 沖縄戦での話です。沖縄の渡嘉敷島の前島という島では、警備に来た日本軍の駐屯を断ったことにより、戦火を免れています。前島には上海事変に従軍したことのある分校の校長先生がいました。上海事変の経験から「兵がいなければ相手方の兵は攻めてこない」と考えたので日本軍の駐屯を断りました。やがて米軍が上陸。島に上がり調査をして日本軍がいないことがわかると、「この島には砲弾も加えない。捕虜もとらない。安心していつもどおりの生活をしなさい」とスピーカーで放送して引き上げたという話です。

 「備え」とは軍隊です。「備え」があるから、戦争が起こるのです。
 戦争で一番被害が集中するのは、そこに住む「一般市民」です。とりわけ、お年寄りやちいさな子どもたちです。そして、もっと恐ろしいのは、核兵器による被害です。核兵器により汚染された土壌は、二度と元には戻りません。多くの人が癌に侵され亡くなっています。また、そこで生まれた子どもたちの何人かは、すでに癌で侵されています。

 西宮市は1983年に兵庫県内でいちはやく「平和非核都市」宣言をしました。安全で安心して暮らせる「文教住宅都市」と言われているのは、市と市民が一体となり住みよい安全な街にする努力が重ねられてきたからです。私の二人の子どもたちもこの西宮の地でのびのびと育ちました。幼稚園では、芝生の上を裸足で走りまわり、中学校ではマーチングの練習に明け暮れていました。「青い空・緑の大地」は私の子どもたち、そして次の世代を担う子どもたちに脈々と受け継がれていく、西宮市の財産です。「青い空・緑の大地」に自衛隊や戦車は似合いません。

 市民の命と暮らしの「安全」と「平和」を守るのが、地方自治の最も重要な責務です。
 先日の議会答弁の中で「国民保護法は、国民の財産を保護し、被害を最小限にとどめるもの」とありましたが、西宮市民46万人の「命」をどう守るのか、教えていただきたいと思います。

 戦争は、震災や天災とは違います。おろかな人間がおこすものです。人間が起すものであるなら、私たちの手で、戦争が起こらないようにすることができるはずです。私たちは戦争の被害者にも加害者にもなりたくありません。
 今、「憲法改正」が言われ、有事法制がつくられ、自衛隊が海外に行ってしまいました。「平和憲法」がないがしろにされ、国民すべての「安心」と「安全」が侵されようとしています。多くの尊い命が犠牲になった先日のJRの事故も「命」より「利益」や「効率」が優先された結果です。
 「今ならまだ、間に合うかもしれません!」山田市長、すべての市議会議員のみなさま 勇気を持って「平和・無防備条例」の制定を決断してください!
「平和・無防備条例」の制定がなされれば、西宮は国内に先駆ける「平和のシンボルの街」として、平和を望む国中の人たちに高い評価を受けることは、間違いありません。
 西宮の「非核平和宣言」を理念に終わらせるのではなく、具体的に条例として定めることは、「青い空・緑の大地」を生涯守りぬくものです。健在な市民の平和意識こそが、戦争をなくし、命と財産を守る力となるのです。
 お願いです!ぜひとも条例化に向けて、いろいろな角度から余すところなく審議を尽くし 署名をした市民と、その奥にいる多くの市民の声を聞いて、納得のできる結論が導かれますようにお伝えします。

(発言原稿ですので、当日の発言とは若干異なる部分があります。)

 意見陳述(発言原稿より)
  (2005年7月11日)